落合陽一さんの新作『日本再興戦略』を読んで考えたこと

 

こんにちは、中の谷のナウシカです。

 

2月1日に発売された落合陽一先生の著書『日本再興戦略』が発売初日から8万部を売り上げたと話題になっています。

ぼくは落合さんが出演している『Weekly Ochiai』というNewsPicksの番組を毎週見てるほど、落合さんを尊敬してるので、さっそく『日本再興戦略』を読んでみました。

 

今回は『日本再興戦略』を読んで考えた3つのこと、① 数学を学ぶということ ② 高校教育について ③ テクノロジーベースの生き方  について書いていきます。

 

 

数学を学ぶということ

 

落合陽一先生はこの本で「複雑性の高い価値を理解するためにはアートを学ばなければならない」と仰っていました。

アートを学ぶとは「アーティストがどんな価値観をどんな表現手段で訴えかけているのか、そのどこに価値があるのか、どういった姿勢で向き合うのか」といったことを考えることです。

 

数学を学んでいる立場からすると、アートを学ぶことと、数学を学ぶことは似ているんですよね。

 

「対象のどこに着目するのか、なぜその点に着目したのか、どういう手段で記述しているのか、それによりもたらされた価値とはなんなのか」数学ではこの点を学ぶことができます。

 

数学は紀元前からの歴史があり、人類の発展の歴史、英知の結晶です。(それゆえに学ぶのに膨大なエネルギーが必要ですが)

そんな人類の発展のベースとなる数学を学ぶことで、複雑なものの中から価値を見出すものの見方を獲得できると言っても過言ではないでしょう。

正しいか正しくないかの信頼性を論理によってのみ保証するため、数学はどことなく冷たい印象を抱かれがちです。しかし、過去の数学者がどこに価値を見出したのか、その価値を抽象的に記述するための歴史的な営みを味わえるんですよね。

 

研究者全般に当てはまることですが、数学を研究する人は人類の積み重ねてきた知恵をほんの少し外に広げる活動、まさに0から価値を生み出している半端なくすごい人だなと再認識させられました。

 

「数学をなぜ学ぶのか」という問は数学を学んでいる者にとって常に付きまといます。

「複雑なものの価値を理解するため」というのはその問いに対する一つの解なのではないでしょうか。

 

 

高校教育について

 

現行のセンター試験が廃止されて、2020年度から新しい試験「大学入学統一テスト」が導入されますね。

その目的は次の通りです。

 

今後、日本の将来を見据えると、急速に少子高齢社会を迎えます。それに伴い、生産年齢人口の急減、労働生産性の低迷、産業構造や就業構造の転換、地方創生等への対応が求められます。国際的にはグローバル化・多極化の進展、新興国・地域の勃興といった変動が起こっています。このような先の見えない状況のなかで、自ら問題を発見し、他者と協力して解決していくための資質や能力を育む教育が必要であるという考えがベースとなっています。

引用 http://www.keinet.ne.jp/sp/dnj/20/20kaisetsu_01.html

 

「自ら問題を発見し、他者と協力して解決していくための資質や能力を育む」ために国語、数学では記述式の問題、英語では民間の資格や検定試験が導入されるそうです。

 

結論から言うと、センター試験もそうですが、ぼくは「大学入学統一テスト」には反対ですね。

大学側が入学するために「大学入学統一テスト」を採用することで結局「大学入学統一テスト」で点を取るための勉強となり、本来の目的である「自分で問題を発見していく力、他者と協力して解決していく力」を養うための学びにはならないのではないかと思うからです。

 

確かに「自分で問題を発見していく力、他者と協力して解決していく力」を養うことは重要ですが、現在の高校でそれができるのかどうかは時間的に厳しいと思うんですよね。

国語だけでも現代文、古文、漢文、英語は文法、読解、コミュニケーション、数学もⅠA ⅡB Ⅲ、主要教科だけでも授業数は多く、そこに副教科、さらには部活動にも時間が割かれてしまいます。

そんな時間が限られた高校で基礎学力に加えて、上記の力を養うことは厳しくないですかねぇ。

 

基礎学力の部分をスタディーサプリのような家庭でできる学習に任せて、学校でアクティブラーニングのような形で上記の力を身に付けられるような学習を取り入れるのであれば可能かもしれません。

それでも、教師側がそもそも「自分で問題を発見していく力、他者と協力して解決していく力」を持っているのか、教えられるだけのスキルがあるのかは疑問です。

ぼくはこの力をちゃんと身に付けて、教えられるようになったら教育界に入りたいなぁと現状では考えています。実践しながら身に付けるのでもいいのかなとも迷い中ですが…

 

解決策としては、落合陽一先生がこの本で述べられたように、「入試科目の厳選、できないことがあっても何か尖ったものがある人を評価できる仕組み」を採用していくのがベストだと思いますね。これ以上どの分野も平均的にできるバランス型の人間を生産してもしょうがないですよ。

筑波大学とか近畿大学はフットワークが軽いので積極的に導入していってほしいなぁと期待してます。

 

 

テクノロジーベースの生き方

 

ぼくは数学科と言えども理系なので、テクノロジーによって社会がどのように変わっていくかにとても興味があります。社会を変えるのはいつだってテクノロジーです。

 

 

歴史を見ると、紙の発明によって知識や情報の保存が可能になったり、産業革命による交通の発展、インターネットによって物理的な距離がなくなったこと、これらによって社会は大きく変わりました。

歴史というと過去のある点のように感じますが、時間は今この瞬間にも確実に流れていて、変化も確実に訪れます。

 

最近では文字をキーボードで入力するのではなく音声で直接入力したり、仮想通貨といった新しい通貨制度の登場、AIやデータ分析、VRやARといったリアルとバーチャルの組み合わせなど。

 

こういった新しいテクノロジーによって社会は否応なく変化していきます。数十年後、数百年後の歴史の教科書には太字で「ブロックチェーンという新しい技術の誕生により…」なんて書かれてるんではないでしょうかね。

 

テクノロジーの変化には真っ向から立ち向かうのではなく、受け入れて自分自身が対応していく生き方を取った方が圧倒的に生きやすいのではないかと思います。

 

ぼくらの世代はスマホやツイッター、LINEが中学生のころからあったため、SNSで発信すること、名前も顔も知らない人とネット上でやりとりすることには抵抗を感じません。

しかし、現在はSNSでも文字ベースでの発信から写真や映像、音声ベースの発信へとシフトしつつあります。この新しい発信手段に最も対応しやすいのは今の中高生であり、ぼくらはすぐに時代遅れとなってしまうのです。

そんなときに、新しいテクノロジーについていけないから隠居生活を送るのではなく、努力が必要かもしれないけど、自分自身が対応していくことが重要。

 

AIが仕事を奪うと言われているのであれば、AIにできることはAIに任せて、自分は自分のできること、自分がやりたいことに取り組んだり、仮想通貨であれば「国が発行しない通貨は通貨ではない」と言い切るのではなく、仮想通貨はどういった価値を生み出しているのかを考えて、現状の問題点を踏まえながら最適な方向に自分自身がシフトしていく方がストレスのない生き方を実践できるのではないかなと思うんです。

 

テクノロジーによる社会の変化に悲観的になるのではなく、積極的に輪の中に入って楽しむ姿勢を持ちたいですね。

ぼくはストレングスファインダーで未来志向が1位になるほどなので、テクノロジーに関して知識を得て、あれこれ考えるのがすごく好きですね(笑)

「地方×テクノロジー」で妄想するのが楽しすぎる件

まとめ

 

『日本再興戦略』を読んで考えたことをまとめておきます。

 

数学を学ぶということ…アートを学ぶことと同様に、数学という人類の知恵の歴史を学ぶことでも複雑なものの価値を理解することができる。

高校教育について…まずは大学が変わらないことには高大接続を変えても効果が薄いのではないか。落合陽一先生に期待。

テクノロジーベースの生き方に…テクノロジーによって社会がどういう方向性に向かうのかを見極め、ポジティブにとらえて自分からシフトしていくことが重要

 

落合陽一先生の著書、『日本再興戦略』ぜひ読んでみてください。

 

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